姫路駅
姫路駅(ひめじえき)は、兵庫県姫路市駅前町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅[1]。事務管コードは▲610619[5]。 概要姫路市の中心駅として、在来線3路線と新幹線が乗り入れるターミナルとなっている。兵庫県で最大の駅舎・駅ビルを持つ駅である(ただし、県内で最も利用者数が多いのは神戸市の三ノ宮駅である)。駅の北西部には山陽電気鉄道(山陽電車)本線の終点である山陽姫路駅が近接している。 山陽本線(山陽線)を所属線とし[2]、播但線・姫新線及び新幹線である山陽新幹線の合計4線が乗り入れている。このうち播但線と姫新線は当駅を起点としている。山陽本線上り方面(東海道本線大阪駅まで)には「JR神戸線」の路線愛称が設定されている[1]。山陽本線の駅番号はJR-A85。北陸本線敦賀駅の駅番号「JR-A01」から続いてきた番号はここが最後となる。 サンライズ瀬戸・出雲とWEST EXPRESS 銀河も含め全ての特急列車・普通列車が停車する。 駅長が配置された直営駅であり、管理駅として山陽本線の姫路市内に所在するひめじ別所駅 - 網干駅間、姫新線の播磨高岡駅 - 上月駅間の各駅を管轄している。 かつては日本国有鉄道(国鉄)の播但線(当駅以南の通称・飾磨港線)と山陽本線の貨物支線が乗り入れていた。 当駅では通常、山陽本線の上り方面を「JR神戸線」、下り方面を「山陽本線」と呼称しているため、以降はこれに従い記述する。 歴史当駅が山陽鉄道によって設置されたのは1888年暮れ[2]と、全国的に見ても初期の部類に入る。このころの駅は市街地を避けて設置されることが多かったが、当駅の場合市街地のすぐ南隣、姫路城外堀の南側の田畑の上に作られた。この当時姫路城内には陸軍第10師団・歩兵第10連隊が設置されており、このことによる必要性もあって市街地に隣接して設置されたと思われる。これは姫路市街の発展に大きく寄与することとなった。この時点では姫路駅は飾東郡豊沢村に属した[6]。翌1889年(明治22年)には当駅で日本で初めての本格的な駅弁が発売されたとされる[7][8]。1912年(明治45年)に豊沢村の後身である国衙村のうち姫路駅周辺が姫路市に編入され[9](残部は城南村へ)、所在地の町名が姫路市駅前町となる[6]。 1894年から播但鉄道(後に山陽鉄道に合併され、現在は播但線)が当駅に乗り入れるようになる。同線は陰陽連絡路線であると同時に、生野銀山の銀を運ぶ役割もあった。姫新線の接続は遅れて1930年である[3]。1958年に明石駅から当駅までが電化され、東京方面からの列車はここで電気機関車から蒸気機関車への付け替えを行っていた。その名残か、高架化前の当駅の跨線橋下には多数の洗面台があった。さらに1972年には山陽新幹線の岡山駅までの開業で新幹線の駅が設けられ、東京方面と日帰りできるようになった。 近距離輸送では、1923年8月19日には飾磨駅・高砂駅経由の本格的都市間高速電気鉄道(インターアーバン)である神戸姫路電気鉄道(現在の山陽電気鉄道)が明石駅 - 当駅間で開業。以後長らく神戸までの輸送は神姫電鉄→宇治川電気→山陽電鉄、大阪などへ向かう長距離客は国鉄という棲み分けがなされていた。第二次世界大戦後、山陽電鉄が1948年に日本における戦後初のロマンスカーとして記録される820形を投入、快適な接客設備によりシェアを拡大した。これに対抗して国鉄はC62形などの牽引機を例外的に東灘信号場(現在の摩耶駅)で転向するという無理をして神戸駅 - 当駅間で列車増発を実施、従来の棲み分けが徐々に崩れ始めた。 1958年の山陽本線西明石駅 - 当駅間電化で40分間隔になり、1968年の神戸高速鉄道開業と同時に国鉄線も毎時2本に増発された。1972年の山陽新幹線の岡山駅までの開業に伴って新快速への153・165系の転用が実施され、さらに1973年のダイヤ改正で当駅発着の新快速の増発(毎時2本)が実施されるまで、急行券を必要とするにもかかわらず大阪駅 - 当駅間で国鉄急行の利用実績が高かったことが示すように、神戸以東への直通客、特に対大阪方面の輸送実績については常に国鉄が圧倒的優位に立っていた[注釈 1]。 この状況は料金・所要時間の問題もあって、山陽電鉄の阪急六甲駅・阪神大石駅への直通乗り入れと高速神戸駅での大阪方面への同一ホーム乗り換えを実現した神戸高速鉄道の開業をもってしても覆ることはなく、オイルショック後は沿線の工業地帯が大きなダメージを受けたこともあり、山陽電鉄の輸送実績は1970年代前半から後半にかけて大きく低下した。 さらに、1980年から国鉄側は老朽化した153系・165系の代替用として117系を新快速に投入、本格的に神姫間のシェア拡大を図るようになり、1986年11月1日に新快速はすべて当駅発着になった。1989年に221系が投入されて以降はさらに利用客が増加した。 1995年の阪神・淡路大震災は姫路駅にも重大な影響をもたらした。駅に地震の直接的影響があったわけではないが、震災によって分断され当駅止まりとなった山陽新幹線や神戸市内で断絶したJR神戸線を迂回するためのルートとして播但線が用いられ、姫路駅は同線あるいはJR神戸線の開通区間に乗り換える博多方面との間の乗客で大変に混雑した。 姫路市とその周辺地域はモータリゼーションの進展が激しく、当駅の乗客数は昭和40年代頃をピークに一度大きく減少している。昭和50年代半ばに底を打ち、以降は上記のような積極攻勢もあってピーク時の水準以上にまで戻している。しかし山陽姫路駅側はピーク時の半分以下と大きく落ち込んでしまった。また、みゆき通りを始めとする姫路駅前の商店街は郊外型店舗に客を奪われ苦しい状況である。 かつては当駅にも貨物設備が存在していた。北上する播但線の東側に、コンテナホームや有蓋車用車扱貨物ホームがあり、鉄道貨物輸送の拠点となっていたが、設備の老朽化や市街地に位置することにより設備が小規模であることから、郊外に新設した姫路貨物駅へ機能を譲渡し廃止された。また付属設備として姫路操車場およびターンテーブルと扇形庫を擁する姫路機関区[注釈 2]や姫路客貨車区が設置され、鉄道病院も駅南側に設置されていた。 連続立体化工事の際に高架ホーム予定地や地平ホーム跡の発掘調査を行ったところ、奈良時代の遺跡(「豆腐町遺跡」と命名された)が発見され、和同開珎や漆紙文書など多数の遺物が出土している[広報 1]。 2017年9月18日より中央改札口の有人改札の幅が狭く不便であることから中央改札口のリニューアル工事を開始。案内板もJR西日本の主要駅などで見られる黒地の視認性の良いものに取り換えられ、11月18日に改札口のリニューアルが完了した[広報 2]。また、駅南側の広場の工事が行われている。 年表民営化前
民営化後(JR西日本)
駅構造ホーム1989年から姫路駅とその前後区間において在来線の連続立体交差事業が行われた。その後、1995年より高架化工事が本格的に開始され、2006年3月26日にJR神戸線・山陽本線のホームが、2008年12月22日に播但線・姫新線のホームが高架化された。在来線は島式ホーム3面8線(このうち2線は行き止まり)および下り通過本線1線、新幹線は島式・相対式ホーム2面3線および上下通過本線の構成となっている。在来線の上り通過線はないので、上り通過列車(貨物列車)は上り本線の5番のりばを通過している。
在来線全長350 mの島式ホーム1面4線(1 - 4番のりば)と全長320 m(15両編成対応[注釈 4])の島式ホーム2面4線(5 - 8番のりば)、合計3面8線のホームを持つ。1 - 4番のりばは1つのホーム上にあり、2番のりばは大阪側・南側の切り欠きホーム、3番のりばは岡山側・北側の切り欠きホームである。1・4番線はスルー式になっており、姫新線と播但線を相互に直通することが可能(ただし、現在は直通する定期旅客列車は設定されていない)。このため1番線の西側は播但線車両の留置線としても利用されている。2番のりばの岡山方には4番のりばへ進入するための渡り線がある。また山陽本線上り線岡山側から4番のりばへの進入が可能であり、夜間に貨物列車1本が4番のりばを通過している(上り最終列車などで5・6番線が埋まるため)。なお1 - 4番線はすべて電化されているが、架線は構内の西側で終端となっている。これは姫新線が非電化で電気を必要としていないためである。 大阪側の上り線と下り線の間に留置線(全長320 m)が4線敷設されており、相生方面からの列車の折り返しや、播但線・姫新線の列車留置に使われている(岡山行き列車はここで夜間停泊する)。大阪方面からの当駅止まりの列車は、6番のりばに停車して直接折り返す列車や、一時留置線で留置後に上り列車として折り返したり網干総合車両所や隣の英賀保駅まで回送される列車もある(当駅で播但線に使用される221系が2番線で夜間滞泊を行っている)。岡山方面からの折り返し列車は直接7番のりばに入ることもある。2・4 - 8番のりばのいずれからも留置線への出入りは可能であるが、2・4番のりばからは一番北側の1番留置線にしか入線できないような配線となっている。6番のりばと7番のりばからは全方向(姫新線・山陽本線・播但線・JR神戸線)への出発が可能となっている。 ホームには1面に1か所ずつ計2か所の待合室が設けられている。内部の座席はすべて南向き(姫路城とは反対向き)で、冷暖房完備。ただし他駅と異なり、車椅子スペースの折りたたみ座席は設けられず、空きスペースとされている。JR神戸線・山陽本線のホームは青春18きっぷシーズン中には、大阪方面または岡山方面への乗り継ぎを行う旅行者で混雑する。 5・6番のりば、7・8番のりばのそれぞれ中程にはえきそば屋が設けられている。かつての地上駅時代には旧3・4のりば、旧6・7のりばの中程や旧31 - 33のりばの西端でもえきそば屋が営業していたが、新ホーム移行に伴い営業終了・撤去された(えきそば屋については後のえきそばの部分も参照)。また、旧1のりばの東端にはカレー屋もあったが、こちらも営業を終了した。 5 - 8番のりばでは、駅員が赤旗を振ることによって客扱い終了表示を送っている。 なお、播但線は福知山支社の管轄路線であるが、当駅自体は神戸支社管内となっているため、当駅の上り場内信号機を支社境としている。 停車場に分類される。 当駅で使用されている接近メロディ「さざなみ」は、1997年3月8日からJR神戸線・山陽本線(当駅 - 相生・上郡)・赤穂線(相生駅・播州赤穂駅)の駅で導入されている。2015年3月12日からは、音質調整をしたものが使われている。当駅では「さざなみ」に加え、列車接近表示器から、メリーさんの羊と草競馬が流れる。 2016年3月26日に、1 - 4番のりばと5 - 8番のりばの間に、中間改札が設けられた。播但線・姫新線⇔JR神戸線・山陽本線の相互の乗り換えには中間改札を通過する必要がある。改札外から直接1-4番線側に向かうことはできない。 停車する電車は種別を問わずドアが半自動扱いとなり、ドアの横のボタンで開閉し乗り降りする。ただし、当駅到着後に回送扱いになる電車や特急列車は、到着時にドアが自動で開く。
新幹線16両編成対応の11 - 13番のりば(山陽新幹線)は島式・相対式2面3線の高架ホームで、11番のりばと12番のりばの間に2線の通過線がある。また、11番のりばと在来線の高架の間に、線路をもう1線増設して2面4線とすることが可能なスペースがある。 基本的に新大阪・東京方面の列車は11番のりばを、岡山・鹿児島中央方面の列車は12番のりばを使用する。ただし、当駅始発の東京行きの「のぞみ」は12番のりばから(前日の夜に到着した東京発「のぞみ」の折り返し運用のため)発車する。13番のりばは事故や大雨・大雪などに起因するダイヤ乱れなど緊急時の列車待避に使用する場合がある。2013年のダイヤでは7時台の当駅始発の岡山行き「こだま」のみが、2015年3月14日ダイヤ改正からは、21時台前半に「ひかり443号」が「のぞみ121号」を待避すべく使用していたが、これは新幹線のホームが通過線を挟んでいる駅としては珍しく停車列車同士の待避であった。この待避は2017年3月4日ダイヤ改正で、「ひかり443号」の新大阪駅発時刻が、「のぞみ121号」の3分後になったため、解消されている。 13番線は1990年3月10日から1991年3月15日および2000年3月11日から2003年9月30日にかけて、当駅 - 広島・博多間に設定されていた「こだま」の折り返し時に使用されていた実績がある。2018年3月ダイヤ改正で姫路発博多行きの「こだま」が再設定され、13番線から発車している他、2018年5月から2019年度にかけて運行されていた当駅発博多行の臨時「ひかり577号」も同番線から発車する。また博多発姫路行の臨時「ひかり576号」は、当駅手前の渡り線を通って下り本線を逆走し、13番線に入線する。降車終了後は回送となり、岡山方面に折り返す。 なお、外部と新幹線とで直接出入りできる改札口は存在しないため、外部から新幹線を利用する際には必ず在来線の改札口を通る必要がある。特に、エクスプレス予約サービスで新幹線のきっぷを予約し、EX-ICカードで乗車しようとする場合、そのままでは新幹線の改札も在来線の改札も通過できないため、まず在来線の改札口で駅係員に申し出て専用の入場証を受け取り、新幹線の自動改札機に入場証を投入した上でEX-ICカードを読み取らせる必要がある[17]。ただし、交通系ICカードを所有している場合、在来線の自動改札機を交通系ICカードで通過し、新幹線の自動改札機を通る際にEX-ICカードと交通系ICカードを重ねて読み取らせることで入場することが可能である。 13番線は夜行新幹線計画の時に整備され、予備の待避駅として西明石駅・相生駅が建設された[報道 7]。
連続立体交差事業「JR山陽本線等姫路駅付近連続立体交差事業」として1989年(平成元年)から当駅を含む山陽本線・播但線・姫新線の高架化および貨物基地・車両基地・保線区の移転などが行われた。山陽本線区間は、事業区間4,260 m(神戸起点52 K690 m63 - 56 K950 m50[18])のうち盛土区間[注釈 5]が936 m(駅東部316 m+駅西部620 m)、高架区間が3,324 mである[19]。播但線区間は、事業区間は1,036 mで全区間が高架区間、姫新線区間は、事業区間が1,333 m(盛り土区間395 m、高架区間938 m)である[19]。 事業費は632億円とされた。これの付帯事業として、播但線第1期連続立体交差事業が行われ、1984年10月1日に先行竣工している。 在来線の高架化事業開始までは、島式・相対式3面11線のホームとなっていた。姫新線は1番線・西1番線(のちに0番線)、播但線は東1 - 3番線(のちに31 - 33番線)と呼称されていた。これらは中央改札口を挟んですべてが地続きになっており、駅ビルと直結していた。また山陽本線上りは3・4番線、同下りは6・7番線(2・5番線は通過線でホームはなし)となっており、飾磨港線は7番線西端を切り欠いた西7番線を使用していた。さらに7番線と新幹線の高架の間には留置線が12線(8 - 11番線、南1 - 南7番線[18])敷設されていた[20]。
連続立体交差化の基本構想は1973年に姫路市から発表されたが、当時は貨物駅や気動車区があり、山陽電気鉄道本線の高架橋とも干渉するため、工事は難航し、着工から長い年月を費やすこととなった。 新幹線高架に沿って在来線高架を建設するスペースを捻出するため、貨物駅の移転と在来線ホーム南側の留置線の移設を行う必要があった。1994年3月21日に貨物駅は姫路貨物駅として、また姫路鉄道部(気動車区)は姫新線余部駅 - 太市駅間に移転したことにより、1995年2月から工事が本格着工した。貨物設備と新幹線高架の間に位置していたJR神戸線下り線を、貨物設備撤去によって捻出したスペース、同上り線のすぐ南側に移設した。捻出したスペースに在来線高架および留置線7線の建設を行い、第1段階として、1997年4月および6月に駅東側から現在の東姫路駅付近までの部分で高架切り替えが行われた。その後も駅高架部分の建設が行われ、2006年3月26日にはJR神戸線・山陽本線のホームが高架化されたが、播但線が高架化されるまでの間は駅構内で播但線との接続ができなくなった。このため、播但線で使用されている103系の当駅 - 網干総合車両所間の回送(播但線から網干方面に入れないため、一度宝殿駅・東加古川駅まで行って折り返した)や、特急はまかぜの播但線乗り入れのために、駅東側の高架以前のJR神戸線上り線を利用して播但連絡線が敷設されていた。その後、2008年12月22日に播但線・姫新線のホームが高架化されたことにより、全てのホームが高架になった。 山陽電鉄線も飾磨港線の路線跡を利用しての高架切り下げが行われた。 2011年2月末に旧姫路駅ビルが閉鎖し取り壊された後、旧地上ホーム跡地に新姫路駅ビルなどが改築されている。
コンコース南北の自由通路を兼ねた中央コンコースと改札内の在来線コンコース、2階新幹線乗換口内の新幹線コンコースに分かれる。改札口は在来線コンコース西側岡山寄り、中央コンコースとの間の中央改札口と、在来線コンコース加古川寄りの東改札口の2ヶ所となっている。 在来線コンコース内には他駅より大きめのデイリーインが造られ、通常の弁当や雑誌の他に姫路のお土産などが売られている。また、回転焼きで有名な御座候や、牛丼の吉野家なども営業を始めている。 新幹線コンコースでは、お土産屋(おみやげ楽市)やまねき食品が運営する「Maneki Dining」が営業をしている。また、ICOCA対応のロッカーも設置されている。 新幹線改札内には、姫路市白浜の松原八幡神社の秋季例大祭で行われる灘のけんか祭りに使用される、松原屋台が展示されている。
以前は南口の2階部分に新幹線用と在来線用の改札口が別々に設けられていたが、JR東西線開業後の在来線の自動改札化後に新幹線用は使用停止となり(在来線自動改札を通ることで乗車券に乗車駅情報を読み込ませるため)、在来線用も2005年4月17日に2階から1階に南中央改札口(現・中央改札口)として移され、もともとの南口は閉鎖された。さらに北口から新幹線改札までは、従来は跨線橋を利用することで行き来することができたが、高架工事の進展に伴って跨線橋が一部撤去され、現在の新幹線口が作られた。従来は今より東側の位置から進入する形となっていた。その部分はシャッターによって跨線橋と接続していた部分が閉鎖されているが、JRと兵庫県警鉄道警察隊が事務用としてそのスペースを使用している。 姫新線と播但線の高架化以前は、北側出口は駅デパートに直結する地下改札、2階改札も含め、従来の改札を引き続き使用する事となり、駅ビルまでの仮設通路が設けられていた。高架の完成に伴い、従来の北側出口側の改札は地下改札や2階改札も含めて撤去となり、北側出口側からは新コンコース側への自由通路を通って新コンコースの中央改札口へとアクセスする形になっている。従来の中央改札は撤去されて通路として開放されている。 かつて存在した設備
姫路駅ビル初代の姫路駅ビルは1959年11月に日本で23番目の民衆駅として竣工したものである。商業部分は姫路駅デパートとして開業し、1983年のリニューアル後はFESTA(フェスタ)と改められた。服飾、書店、飲食店などの他、映画館、診療所、屋上遊園地なども入居・設置されていた。 旧駅ビルは建て替えが進められ、まず、2010年3月末に姫路市営バスが民間移譲し、市バスターミナルに商業ビル(姫路フェスタ南館)を建設、初代駅ビルのテナントを移転した後撤去された。旧ホーム部分に新駅ビルを建設、既存の高架下施設「PLiE (プリエ)姫路」を併せ「piole(ピオレ)姫路」に名称を統一し、2013年4月28日にプレオープン、4月30日にグランドオープンとなった。なお、初代駅ビルの跡地は、サンクンガーデンなどに整備された。また、駅地下街「FESTA GARDEN(フェスタガーデン、旧姫路駅デパート地下名店街)」は2011年2月末から改装のため閉鎖し、2013年3月28日に「GRAND FESTA(グランフェスタ)」としてリニューアルオープンした。 2015年(平成27年)10月30日、「姫路駅北駅前広場および大手前通り」が2015年度グッドデザイン賞(特別賞「地域づくりデザイン賞」)を受賞した[25][26][27]。
施設
2013年6月15日にピオレ姫路とキャスパ(山陽姫路駅ビル)を2階で結ぶ長さ114 メートル、幅5 メートルの眺望・連絡デッキが開通し[28][報道 12][報道 13][広報 9][報道 14]、同年12月12日に、サンクンガーデンは「キャッスルガーデン」に、眺望デッキは「キャッスルビュー」と愛称が決定された[広報 10]。 えきそばこの駅の名物として名高いのが「駅の立ち食いそば」である[1]。まねき食品が営業する立ち食いそば・うどん店で売られている「えきそば」は、かん水を用いた中華麺を使用した、いわゆる「黄そば[注釈 6]」である。つゆは見た目はうどんと似ているものの、実際にはうどん用よりもやや濃い目に仕立てられた、専用の和風だしを使用する[29]。このような駅そばはあまり例がなく、旅行者の間では「姫路のそば」と呼ばれ親しまれている。販売方法は基本的に食券を購入して注文する方式(トッピングの具材も含む)である。 かん水を使ったのは、戦後すぐの冷蔵庫の無い時代に開発された際に、麺の保存性を高めるためとされている[30]。終戦後、当時統制品であった小麦粉の代わりにそば粉とこんにゃく粉でうどんのようなものを作っていた[30]。販売開始当時は立ち売りで、丼鉢は出雲今市(現・出雲市)より仕入れ、店の従業員が列車で出雲まで直接買い付けに行き、列車で丼を運んで姫路に到着後すぐにそばを販売していた[30]。しかし、保存性があまりよくなかったため、かん水を使った独自の麺に至り、黄色いそばと和風だしを使うことになった。当時の価格は容器代込みで50円であった[30][31]。後に山陽本線・播但線各ホーム上の売店での販売へと移り変わった。 1949年(昭和24年)10月19日に「えきそば」と名付けられた[30]。姫路の「えきそば」は他業者の製品が地元スーパーでも販売されているなど完全に地元に根付いた存在となっている。 高架化以後の改札内では山陽本線上下各線のホーム上の売店、新幹線乗降口前の軽食堂「まねきダイニング」で営業しているほか、姫路駅近くの商店街・小溝筋や加古川駅(改札内からも利用可能)、東海道本線の元町駅にもこのそばを売るまねき食品の店がある。容器は当初の瀬戸物から、昭和40年頃に現在の薄いプラスチック製となった[32]。車内持込は、国鉄時代は可能であったが、現在は車内美化維持のため持込が禁止されており、売店にも持込できない旨の貼り紙がされている。メニューも豊富にある。詳しくは公式サイト#外部リンクを参照。 ファンも多く、姫路出身の松浦亜弥は過去の担当番組『松浦亜弥のオールナイトニッポン』の中で姫路名物として採り上げたり、『saku saku』のコーナー「駅そばキング」でも紹介されている。過去に一度、関東地方で売り出した時期もあったが、人気が得られずに撤退[32]。しかし、2000年代においては、関東から味わいに訪れる人もおり、密かな人気が存在している[32]。 2009年4月22日からは大阪・梅田の阪神百貨店地下1F スナックパークでも「姫路名物 えきそば」として販売されている[報道 15]。また2010年5月には日清食品がえきそばのカップ麺版を「まねきのえきそば」として近畿地区限定で発売している[広報 11][注釈 7]。 同様の中華麺と和風つゆとを組み合わせた立ち食いそばとしては、新潟県の直江津駅・燕三条駅の「和風中華」がある。こちらの麺つゆは関東風の濃い口であり、駅構内店舗だけの限定メニューとなっている。また、関西圏では学生食堂や社員食堂などにおいて、「えきそば」と同じような中華麺とうどん出汁を組み合わせた麺類メニューを「そば」と称して出しているケースも少なくない。 2019年8月11日に5・6番線ホームのえきそば店がリニューアルオープンした。キハ58系を模した外装となっている。
駅弁先述のように、日本で初めて折り詰め幕の内弁当を駅弁として発売したことで知られている[1][8]。これを販売した「まねき」は、今日では地元外食企業「まねき食品」として多種の駅弁を販売している老舗である。昭和40年代頃まで駅弁の立ち売りがおこなわれていた。イベントなどで立ち売りが復活することがある。
利用状況2021年(令和3年)度の1日平均乗車人員は40,279人で、これはJR西日本の駅では第14位である。また、近畿統括本部における電車特定区間外の駅では最多である。 2019年から2020年にかけて大幅に利用客が減少しているのは、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言や在宅勤務の増加などが理由に挙げられる[34]。 近年の乗車人員は以下の通りである。 2000年 - 2019年
2020年 -
駅周辺駅の北側は城下町時代からの市街地で、南側は戦後発達した市街地である。東側では姫路操車場跡地の再開発が行われている。姫路市役所へは手柄駅(山陽電気鉄道本線)が最寄り駅。平成25年頃から行われた駅周辺整備事業によって北口周辺と北へ向かう姫路市道十二所前線まではトランジットモール化されて歩道が広がり一般車両の進入が不可になった[報道 16][報道 17]。この事業は平成27年度国土交通省近畿運輸局交通関係環境保全優良事業者等表彰を受賞した[37]。 駅前北ロータリーには淀井敏夫作の「希望」と題された銅像が1985年6月に設置されていたが駅周辺の整備に伴い銅像は姫路港の姫路ポートセンター広場に移設された[広報 12][報道 18]。 私鉄バス※姫路市営バス(最末期は姫路市企業局交通事業部運営)は2010年に廃止され、路線は神姫バスに移管された。 姫路市営モノレール(廃止)→詳細は「姫路市交通局モノレール線」を参照
かつては姫路市交通局による姫路市営モノレールの姫路駅が神姫バス北ターミナル付近に仮設されていたが、1979年1月26日に廃止されている。 観光駅構内に観光案内所(通称:姫路観光なびポート。JNTO認定外国人観光案内所)が併設されていて、英語での案内やレンタサイクルなどの案内が行われている[38]。 ショッピング
レジャー等
「姫路」のアクセント「姫路」の地元でのアクセントは「ひめじ」のように平板型、または「ひめじ」と尾高型で発音する(「姫路城」や「姫路市」の場合と同様のアクセント)。しかし、地元でのアクセントを知らない場合、多くの人は「~姫」などの用例にちなみ「ひめじ」のように頭高型で発音するが、姫路出身の人はこのイントネーションを好まない。近畿圏内の列車案内や車内アナウンスでは地元のアクセントを用いているところが多い。ただし、駅構内の列車案内等の英語版アナウンスでは「Himeji」と頭高型で発音する。 その他
隣の駅
かつて存在した路線
脚注注釈出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料
新聞・報道など
参考文献
関連項目外部リンク
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