宮本邦彦宮本 邦彦(みやもと くにひこ、1899年〈明治32年〉9月6日[1] - 1984年〈昭和59年[1]〉4月24日[1])は、昭和期の農林技官、実業家、政治家。参議院議員(1期)。 経歴長野県[2]長野市出身[1]。1928年(昭和3年)九州帝国大学農学部農学科を卒業した[1][2]。 高知県農林技師、宮城県農林技師、興亜院技師などを務めた[2]。戦後農林省に入省し[1]、農林技師、関東開拓事務所長、農林省東京農地事務局事業部長、同建設部長などを務めた[1][2]。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に自由党公認で出馬して当選し[3]、参議院議員に1期在任した[1][2]。1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙で全国区に自由民主党公認で立候補したが落選した[4]。 その他、全国土地改良協会理事、農業土木学会(現農業農村工学会)理事、宮本地質コンサルタント社長などを務めた[1][2]。 1969年(昭和44年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章(勲五等からの昇叙)[5][6]。 1984年(昭和59年)4月24日死去、84歳。死没日をもって従五位から従四位に叙される[7]。 脚注参考文献
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