黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28日 - 1978年(昭和53年)9月24日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。参議院議員、法学博士(明治大学・論文博士・1962年)(学位論文「日本社会事業現代化論」)。
経歴
宮崎県[1]、現在の西都市で生まれた[2]。妻中学校(現宮崎県立妻高等学校)、第五高等学校を経て[2][3]、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業[1][2][3]。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格[3]。1940年、厚生省に入り衛生局属に任官[3]。秋田県産業課長。1948年厚生省社会局厚生課長、翌年まで米国に学ぶ。1949年社会局生活課長、庶務課長、保護課長、1956年厚生大臣官房企画室長。第一回厚生白書を作成。1957年社会保障研究のため英国および北欧に出張。1958年国民皆年金準備事務局長、1959年厚生省医務局次長、1961年児童局長、1962年「日本社会事業現代化論」で法学博士(明治大学)の学位を取得。1964年児童家庭局長。
1965年の第7回参議院議員通常選挙に自由民主党から出馬、参議院議員(全国区)に当選する[4]。改選を迎えた1971年の第9回参議院議員通常選挙には出馬せず、参議院議員を1期務めた[1]。この間、自民党社会保障調査会副会長、社会保障制度審議会委員、第3次佐藤内閣・行政管理政務次官などを務めた[1]。1972年と1976年の総選挙に旧宮崎1区から出馬したが落選する。1966年ローマ教皇パウロ6世より有星・騎士団長勲章を受ける。
1978年9月24日、心筋梗塞のため東京都杉並区の自宅にて死去。64歳[5]。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従六位から従四位に叙され[6]、さらに正四位に位一級追陞[7]。
国政選挙歴
著書
- 『アメリカ社會事業瞥見』牧賢一,池川清監修 日本社会事業協会 アメリカ社会事業シリーズ 1949
- 『アメリカ社會事業通信 社會事業的視點から世界的視點へ』厚生時報社 1949.
- 『ウェルフェア・フロム・USA』日本社会事業協会 1950
- 『現代社会福祉事業の展開 社会福祉事業法の解説』中央社会福祉協議会 1951
- 『医療扶助の取扱』編 中央社会福祉協議会 生活保護百問百答 1952
- 『社会福祉主事』中央法規出版 1952
- 『社会福祉の指導と実務 とくに市町村における』時事通信社 1952
- 『社会福祉の手帖 続社会福祉主事』中央法規出版 中央法規文庫 1953
- 『社会事業と霊友会』国友婦人会 1955
- 『生活保護 最近の二大攻撃と其の分析』中央法規出版 中央法規文庫 1955
- 『日本社会事業現代化論』全国社会福祉協議会 1958
- 『新しい社会事業のあゆみ』全国社会福祉協議会 社会福祉選書 1959
- 『日本社会保障』弘文堂 1959
- 『日本の社会保障』社会福祉新聞社 1962
- 『日本の児童福祉』良書普及会 1964
- 『私本児童手当白書』白桃書房 1965
- 『社会保障法概論』福祉新聞社 1967
- 『女性の政治教室』福祉新聞社 1968
- 『解説・社会保険労務士六法』全3巻 松岡三郎共編著 弘文堂 1970
- 『青年の政治教室 ’70年代のビジョン』福祉新聞社 1970
脚注
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』302頁。
- ^ a b c 『宮崎県政外史』652頁。
- ^ a b c d 『日本官僚制総合事典1868-2000』332頁。
- ^ a b 『国政選挙総覧:1947-2016』550頁。
- ^ 訃報欄 黒木利克(くろきとしかつ = 健康づくり振興財団理事 元自民党参院議員)『朝日新聞』1978年(昭和53年)9月25日夕刊、3版、11面
- ^ 『官報』第15522号15-16頁 昭和53年10月11日号
- ^ 『官報』第15523号8-9頁 昭和53年10月12日号
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』382頁。
- ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』383頁。
参考文献
- 宮崎県政外史編纂委員会編『宮崎県政外史』宮崎県政外史刊行会、1967年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 『社会保障法概論』著者紹介
- 『人物物故大年表』
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |