長島 銀蔵(ながしま ぎんぞう、旧字体:長島 銀藏[1]、1901年〈明治34年〉11月25日[2] - 1984年〈昭和59年〉9月8日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、参議院議員。
経歴
現在の静岡県富士宮市出身[3]。長島化学製品所を経営し[4]、清水栄寿座、長島商事、横浜瓦斯化学工業の各社長[3][4]、日本海獣化学工業代表取締役[4]、清水商工会議所議員などを務めた[4]。
1946年(昭和21年)5月、静岡県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され[3][4]、同月18日に就任し[5][6]研究会に所属した[4]。翌1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在籍した[4]。同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙において、静岡地方区から無所属で立候補したが落選した[7]。1948年(昭和23年)4月、日本遺族厚生連盟(現在の日本遺族会)の会長に就任[8]。1950年(昭和25年)の第2回通常選挙で全国区から自由党公認で立候補して初当選[9]。参議院では在外同胞引揚問題に関する特別委員長に就任した[4]。1956年(昭和31年)の第4回通常選挙(全国区、自由民主党)では落選した[10]。1972年(昭和47年)勲三等旭日中綬章を受章した[3]。1984年9月8日死去、82歳。死没日をもって正五位に叙される[1]。
著書
脚注
- ^ a b 『官報』第17284号10-11頁 昭和59年9月14日号
- ^ 『大衆人事録 第19版 東日本篇』391頁。
- ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』434頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』214頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
- ^ 『官報』第5804号、昭和21年5月23日。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』468頁。
- ^ 『日本遺族通信』(日本遺族会機関紙)第800号 一面。平成29年8月15日。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』540頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』546頁。
参考文献
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『大衆人事録 第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1957年。
- 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 『国政選挙総覧 1947-2016』 日外アソシエーツ、2017年。
議会
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先代 千田正
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参議院在外同胞引揚問題に関する特別委員長
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次代 廃止
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参議院在外同胞引揚問題に関する特別委員長 |
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第1回 (定数100) |
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |