トヨタ・プロナード
プロナード(PRONARD)は、トヨタ自動車がかつて販売していたセダン型乗用車。北米向けの2代目アバロンを日本市場に投入したモデルである。 概要開発テーマに「上質のゆとり」、車両コンセプトに「Brand-new Luxury & Spacious Sedan」[1]を掲げ、月販目標は1,000台とされていた。ボディーカラーは「スーパーホワイトパールマイカ」「シルバーメタリック」「グリーンマイカ」の3色である。CMキャッチコピーは「こんなトヨタなら、乗ってもいい。」。 アメリカ合衆国のケンタッキー工場で生産された車両を日本へ輸入し、ビスタ店[注釈 1]で販売されていた。トヨタの車種ラインナップの中では、解説書にて「FF最高級セダン」という表現がなされている。 ベースとなるアバロンが北米向けに開発された車種であるため、全体的なサイズはクラウンやカムリよりもやや大きく、3代目セルシオに近い。しかし、同クラスのクラウンという圧倒的な人気車種の存在や、ビスタ店にも既にアリストやクレスタといった人気車種があったため、明確なターゲットを打ち出せず、終始人気を得られないまま販売を終了。これ以降、日本におけるアバロンの輸入販売は行われていない。 清子内親王(紀宮)の公用車としても使用された。 型式 MCX20型 (2000年 - 2004年)2000年4月7日、発売[2]。グレードはベーシックモデルとなる「3.0」、ディスチャージヘッドランプ、サンルーフ、本革シート、クルーズコントロール、スカイフックTEMSなどを装備した上級モデルにあたる「3.0 G」、そしてベンチシート(前席3人掛けコラムシフト式、乗車定員6名)の「3.0 L」の計3種類がある。 販売当時、先進装備でもあったDVDナビゲーションが全グレードに標準装備されていた。これはプロナードが北米からの輸入車であり、メーカーオプションを多種多様に設定できないためであったが、逆にこれはまだ純正カーナビゲーション自体が追加オプションによる設定が主流であった日本車市場において、当時の国産他車(トヨタ車以外も含む)と比べても同車がハイスペックな装備を持つ結果となった。 日本仕様前期型の生産は2000年2月~で「GH-MCX20」、2000年8月以降生産分は平成12年基準排出ガス25%低減レベルエンジン搭載車に変更となり「TA-MCX20」となる。 2002年9月2日、マイナーチェンジ[3]。フロントバンパー、フォグランプ、フロントグリルや後部テールデザインを変更し、ディスチャージヘッドランプや雨滴感知式ワイパー、木目調+本革巻きステアリングホイール、同フロアシフトレバーノブ、車名ロゴ入りのスカッフプレートなどを標準装備化。また、全グレードからサンルーフ(ムーンルーフ)の設定が廃止された。 内装色にも若干の変更が加えられ、前期は淡い黄色に近い明るめのアイボリー色、後期はグレーに近い暗めのアイボリー色となっている(設定はフォーンに変更)。 ボディーカラーは前期の「グリーン」から「ダークブルーマイカ」(「3.0」のみの設定)へと変更された。後期のボディーカラーも3色。 また、前期の「3.0 L」は「3.0 G」グレードと同様の本皮シート表皮が標準装備となっていたが、後期の「3.0 L」は通常の「3.0」グレードと同様のファブリック表皮に変更されたため、結果的に前期の同型よりもダウングレードしているという珍しい特徴もある。 後期では、それまで全グレードで標準装備となっていたTV付きDVDナビゲーションを非装備の「3.0 Mパッケージ」という受注生産専用グレードが存在した。 2003年11月[4]、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 2004年3月31日、翌4月1日のビスタ店のネッツ店への統合に先立ち、ヴェロッサとともに販売を終了した。新車登録台数の累計は7,620台[5]。 アバロンとの相違北米仕様モデルの「アバロン」と日本仕様モデルの「プロナード」の相違点は以下の通りである。
脚注注釈出典
車名の由来
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