京田町(きょうでんちょう)は、愛知県名古屋市中村区の地名。現行行政地名は京田町1丁目から京田町3丁目[WEB 1]。住居表示未実施[WEB 5]。
地理
名古屋市中村区南部に位置する。西は名西通に接する。
歴史
地名の由来
下中村町の字京田に由来する。京田は、江戸中期の村絵図に境界が不明瞭な田がみられることから「競田」(つまり、私有田や私墾田が錯綜して境界が不明瞭な田のことを指す語)であるという説、高須賀の願成寺の「経田」(つまり、読経料として寺院に寄進された田を指す語)であったとする説があるという。
沿革
- 1941年(昭和16年)1月1日 - 以下の通り、中村区米野町・下中村町・高須賀町の各一部により、同区京田町として成立。
- 京田町1丁目が、米野町字下流レおよび下中村町字流・字六十間・字京田の各一部により成立。
- 京田町2丁目が、下中村町字六十間・字京田の各一部により成立。
- 京田町3丁目が、下中村町字長筬・字六十間・字白子畑および高須賀町字北畑江・字晩田の各一部により成立。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年)
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160人 |
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1955年(昭和30年)
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304人 |
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1960年(昭和35年)
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791人 |
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1965年(昭和40年)
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1,122人 |
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1970年(昭和45年)
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1,135人 |
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1975年(昭和50年)
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1,181人 |
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1980年(昭和55年)
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1,085人 |
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1985年(昭和60年)
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1,020人 |
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1990年(平成2年)
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925人 |
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1995年(平成7年)
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917人 |
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2000年(平成12年)
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913人 |
[WEB 6]
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2005年(平成17年)
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856人 |
[WEB 7]
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2010年(平成22年)
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848人 |
[WEB 8]
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2015年(平成27年)
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908人 |
[WEB 9]
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学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 11]。
施設
その他
日本郵便
脚注
WEB
書籍
参考文献
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
統計資料
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、京田町に関するカテゴリがあります。
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か行 | |
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ま行 | |
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註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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