八社(はっしゃ)は、愛知県名古屋市中村区の地名。現行行政地名は八社一丁目および八社二丁目[2]。住居表示未実施[6]。
地理
名古屋市中村区南西部に位置する。南は横前町、北は岩塚町に接する。
歴史
地名の由来
岩塚町字郷中に鎮座する八所社の「八」と「社」より命名したものであるという。
沿革
- 1980年(昭和55年)3月9日 - 以下の通り、中村区岩塚町および横井町の各一部により、同区八社一丁目および八社二丁目として成立。
- 八社一丁目が、岩塚町字西起の一部により成立。
- 八社二丁目が、岩塚町字西起および横井町字囲内・字東廻り・字替地の各一部により成立。
- 1981年(昭和56年)9月6日 - 以下の通り、岩塚町の一部を編入する。
- 八社一丁目に、岩塚町字一里山・字宮前・字押木田・字三ツ割・字小池・字東野岸・字西野岸・字銭亀・字万吉の各一部を編入する。
- 八社二丁目に、岩塚町字小池・字押木田・字銭亀・字万吉・字東野岸・字西野岸の各一部を編入する。
- 1984年(昭和59年)11月3日 - 八社二丁目に、野田町字油田・字西竪出・字丸ノ内の各一部を編入する。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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八社一丁目
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406世帯
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1,079人
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八社二丁目
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880世帯
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1,819人
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計
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1,286世帯
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2,898人
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人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1980年(昭和55年)
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2,537人 |
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1985年(昭和60年)
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2,561人 |
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1990年(平成2年)
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2,757人 |
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1995年(平成7年)
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2,865人 |
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2000年(平成12年)
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2,790人 |
[13]
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2005年(平成17年)
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2,780人 |
[14]
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2010年(平成22年)
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2,749人 |
[15]
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2015年(平成27年)
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2,760人 |
[16]
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学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[17]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[18]。
施設
- 名古屋市立八社小学校
- 一里山公園
- 愛知県営中村住宅
- 銭亀公園
- 曹洞宗岩塚薬師寺
その他
日本郵便
脚注
参考文献
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、八社 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。
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ま行 | |
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註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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