城屋敷町(しろやしきちょう)は、愛知県名古屋市中村区の地名。現行行政地名は城屋敷町1丁目から城屋敷町4丁目[WEB 1]。住居表示未実施[WEB 5]。
地理
名古屋市中村区西部に位置する。西は稲葉地町、南は稲葉地本通に接する。
歴史
地名の由来
稲葉地町の字城屋敷に由来する。当地にかつて所在した稲葉地城による。
沿革
- 1949年(昭和24年)3月30日 - 中村区稲葉地町・稲花町・稲葉地本通の各一部により、同区城屋敷町として成立。
- 城屋敷町1丁目が、稲葉地町字天摩・字裏割の各一部により成立。
- 城屋敷町2丁目が、稲葉地町字裏割・字平治裏・字出口・字池田・字城屋敷の各一部により成立。
- 城屋敷町3丁目が、稲葉地町字平治裏・字中瀬古・字出口および稲花町2丁目および稲葉地本通2丁目の各一部により成立。
- 城屋敷町4丁目が、稲葉地本通2丁目・3丁目および稲花町3丁目・稲葉地町字平藪および字城屋敷の各一部により成立。
- 1957年(昭和32年)4月15日 - 城屋敷町3丁目に、稲葉地町字出口が編入される。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年)
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438人 |
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1955年(昭和30年)
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467人 |
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1960年(昭和35年)
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945人 |
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1965年(昭和40年)
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1,106人 |
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1970年(昭和45年)
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1,148人 |
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1975年(昭和50年)
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1,297人 |
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1980年(昭和55年)
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1,094人 |
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1985年(昭和60年)
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916人 |
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1990年(平成2年)
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938人 |
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1995年(平成7年)
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1,072人 |
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2000年(平成12年)
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1,039人 |
[WEB 6]
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2005年(平成17年)
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1,079人 |
[WEB 7]
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2010年(平成22年)
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1,096人 |
[WEB 8]
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2015年(平成27年)
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1,140人 |
[WEB 9]
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学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 11]。
施設
300 m
4
3
2
1
略地図
1
名古屋市上下水道局北部管路センター
2
広讃寺
3
城屋敷神明社
4
上二区どんぐりひろば
- 「織田信長伯父津田豊後守居城稲葉地城址」の石柱が設置されている。
その他
日本郵便
脚注
WEB
書籍
参考文献
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
統計資料
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
外部リンク
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註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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