稲葉地本通(いなばじほんとおり)は、愛知県名古屋市中村区の地名。現行行政地名は稲葉地本通1丁目から稲葉地本通3丁目[WEB 1]。住居表示未実施[WEB 5]。
地理
名古屋市中村区西部に位置する。東は鳥居西通、西から南は稲葉地町に接する。
歴史
地名の由来
沿革
- 1934年(昭和9年)11月1日 - 西区稲葉地町の一部により、同区稲葉地本通として成立。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 中村区成立に伴い、同区稲葉地本通となる。
- 1949年(昭和24年)3月30日 - 以下の通り異同が実施される。
- 稲葉地本通1丁目に、小柳町1丁目の一部が編入される。
- 稲葉地本通1丁目に、稲葉地本通2丁目の一部が編入される。
- 稲葉地本通2丁目に、小柳町2丁目の一部が編入される。
- 稲葉地本通3丁目に、小柳町3丁目の一部が編入される。
- 鳥居西通2丁目に、稲葉地本通1丁目の一部が編入される。
- 稲葉地本通1丁目に、稲葉地本通2丁目の一部が編入される。
- 稲上町5丁目に、稲葉地本通1丁目・2丁目の一部が編入される。
- 城屋敷町3丁目に、稲葉地本通2丁目の一部が編入される。
- 城屋敷町4丁目に、稲葉地本通2丁目・3丁目の一部が編入される。
- 1960年(昭和35年)6月15日 - 稲葉地本通3丁目に、稲葉地町字平藪の一部が編入される。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年)
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495人 |
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1955年(昭和30年)
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533人 |
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1960年(昭和35年)
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562人 |
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1965年(昭和40年)
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805人 |
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1970年(昭和45年)
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641人 |
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1975年(昭和50年)
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513人 |
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1980年(昭和55年)
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444人 |
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1985年(昭和60年)
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374人 |
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1990年(平成2年)
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350人 |
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1995年(平成7年)
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372人 |
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2000年(平成12年)
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383人 |
[WEB 6]
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2005年(平成17年)
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416人 |
[WEB 7]
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2010年(平成22年)
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395人 |
[WEB 8]
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2015年(平成27年)
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436人 |
[WEB 9]
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学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 11]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
施設
300 m
3
2
1
略地図
1
稲葉地交番
2
凌雲寺
3
岐阜信用金庫稲葉地支店
ギャラリー
その他
日本郵便
脚注
WEB
書籍
参考文献
書籍
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
統計資料
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、稲葉地本通に関するカテゴリがあります。
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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