畑江通(はたえとおり)は、愛知県名古屋市中村区の地名。現行行政地名は畑江通1丁目から畑江通9丁目[2]。住居表示未実施[6]。
地理
名古屋市中村区南部に位置する。東は黄金通、西は岩塚本通に接する。
歴史
地名の由来
高須賀町字南畑江に由来する。
沿革
- 1941年(昭和16年)1月1日 - 中川区北一色町・長良町・高須賀町の各一部により、同区畑江通として成立。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 中村区編入に伴い、同区畑江通となる。
- 1959年(昭和34年)5月1日 - 以下の通り、中村区高須賀町・岩塚町・烏森町の各一部を編入する。
- 畑江通7丁目に、高須賀町字北西出および烏森町字須崎の各一部を編入する。
- 畑江通8丁目に、烏森町字須崎・字東沖田の各一部を編入する。
- 畑江通9丁目に、烏森町字東沖田・字西沖田・字天地および岩塚町字向田の各一部を編入する。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年)
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109人 |
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1955年(昭和30年)
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173人 |
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1960年(昭和35年)
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319人 |
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1965年(昭和40年)
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437人 |
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1970年(昭和45年)
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451人 |
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1975年(昭和50年)
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456人 |
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1980年(昭和55年)
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325人 |
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1985年(昭和60年)
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427人 |
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1990年(平成2年)
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571人 |
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1995年(平成7年)
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579人 |
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2000年(平成12年)
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1,028人 |
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2005年(平成17年)
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1,191人 |
[17]
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2010年(平成22年)
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1,342人 |
[18]
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2015年(平成27年)
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1,231人 |
[19]
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学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[20]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[21]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
交通
施設
その他
日本郵便
脚注
参考文献
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編『中村区誌―中村区制施行50周年記念―』中村区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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旧町名 | |
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