野田内閣(のだないかく)は、衆議院議員、財務大臣、民主党代表の野田佳彦が第95代内閣総理大臣に任命され、2011年(平成23年)9月2日から2012年(平成24年)1月13日まで続いた日本の内閣。
民主党と国民新党の連立政権を形成する。
概説
2011年(平成23年)8月30日、前任の菅直人再改造内閣が内閣総辞職したため、国会で内閣総理大臣指名選挙が行われた。衆議院は野田を1回目の投票で指名。参議院では過半数の票を得た者がいなかったため、1位の野田と2位の谷垣禎一自由民主党総裁による決選投票が行われた結果、野田が内閣総理大臣に指名された。同年9月2日、内閣総理大臣の親任式及び国務大臣の認証式が皇居で行われ、正式に野田内閣が発足。鳩山由紀夫内閣、菅直人内閣(菅直人内閣、1次改造、2次改造)に次ぐ3代目の民主党中心の内閣となった。
2024年現在、昭和30年代生まれの首相による政権はこの野田政権と自民党・公明党連立の岸田政権、石破政権の3つである[注 1]。また、新進党在籍歴がある議員の内閣はこの野田と石破のみである。
通称、ニックネーム
野田首相が民主党代表選挙の演説において引用した相田みつをの詩の一節[注 2]から、「どじょう内閣」という通称が一部の報道では使用されている[1]。
しかし野田は就任会見で内閣の通称について問われると、「キャッチフレーズ、スローガン、これは私あえて言いません。(中略)ドジョウだナマズだという話はしません。これは我々が黙々と仕事をした中で、泥くさく仕事をした中で、政治を前進させた中で、国民の皆さんがどういう評価をするか、そこから出てくる言葉が本物だと思いますので、これはむしろ国民の皆様にいずれ名付けていただくような内閣という位置付けにしたいと思います」と述べ、命名を避けた[2]。
この他、野田内閣で防衛大臣に起用された一川保夫は「あぜ道内閣」[3]、コピーライターの岩永嘉弘は「どんぐりころころ内閣」、政治評論家の小林吉弥は「どじょう鍋内閣」、漫画家の弘兼憲史は「これでいいノダ内閣」[4]、教育評論家の尾木直樹は「課題乗り越え内閣」、漫画家の倉田真由美は「花より団子内閣」、愛知県知事の大村秀章は「超地味内閣」、佐賀県知事の古川康は「実務堅実内閣」[5]、民主党政調会長の前原誠司は「ドジョウ宰相公約実現内閣」、民主党最高顧問の渡部恒三は「民主党最後の内閣」、自由民主党副総裁の大島理森は「グループ均衡内向き内閣」、政治アナリストの伊藤惇夫は「掃除機内閣」[6]、みんなの党代表の渡辺喜美は「増税一直線の論功行賞内閣」と、日本共産党書記局長の市田忠義は「財界直結内閣」、新党改革代表の舛添要一は「党内向けの気遣い内閣」と呼んだ[7]。
マニフェスト、イギリスではじまりました。ルールがあるんです。
野田は選挙演説で次のような演説を行なっていた事が話題を集めた。
- マニフェスト、イギリスではじまりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです
- 消費税1%分は、二兆五千億円です。十二兆六千億円ということは、消費税5%ということです。消費税5%分のみなさんの税金に、天下り法人がぶら下がってるんです。シロアリがたかってるんです。それなのに、シロアリ退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか?
この演説は、後の消費税議論で批判にさらされる原因の一つとなった[8]。
内閣の顔ぶれ・人事
所属政党・出身:
民主党 国民新党
中央省庁・民間
国務大臣
- 2011年(平成23年)9月2日任命。
- 組閣時の平均年齢 : 58.3歳
- 最高齢:前田武志(73歳)
- 最年少:細野豪志(40歳)
内閣官房副長官・内閣法制局長官
内閣総理大臣補佐官
副大臣
大臣政務官
- 阿久津幸彦内閣府大臣政務官のみ2011年(平成23年)9月2日任命。それ以外は2011年(平成23年)9月5日任命。
人事・政策
国務大臣
副大臣・大臣政務官・内閣総理大臣補佐官
基本方針
2011年(平成23年)9月2日、初閣議において、内閣の基本方針を決定し、併せて第三次補正予算及び円高への対応策にかかる内閣総理大臣指示が行われた[11]。
基本方針
各閣僚を始めとする政務三役は、次の方針に基づき、職務に専念するものとする。
- 一、 一昨年の政権交代の原点に立ち返り、「国民の生活が第一」との理念にのっとって、政権交代の意義を実感してもらえるよう、国民目線に立った政治の実現にまい進する。
- 一、 各閣僚は、省益にとらわれることなく相互に密接に連携して、野田総理の下で一体となって、内外の政策課題に取り組む。また、国民の皆様からの声に素直に耳を傾け、丁寧に説明する姿勢を持つとともに、与野党協力を推進して、「対話の政治」を実践する。
- 一、 「行政の無駄遣い」を根絶すべく、既得権の打破を図るため、行政刷新の取組を継続・強化する。
- 一、 東日本大震災の被災地域における早期の社会経済の再生及び生活再建を図るため、「東日本大震災からの復興の基本方針」に基づく復旧・復興の取組を加速させるとともに、エネルギー制約を早期に克服する。また、「福島の再生なくして、元気な日本の再生なし」の考えの下、原発事故を速やかに収束させるとともに、被害者への賠償や「除染」の実現に全力を注ぐ。その際、未来を担う子どもや妊婦への対応を優先的に実施し、「チルドレン・ファースト」を実践する。
- 一、 大胆な円高対策など国内産業の空洞化対策を講ずるとともに、国際的な信用不安に適切に対処し、経済成長と財政健全化の取組を両立させる。
- 一、 必要な社会保障の機能強化を確実に実施し、同時に社会保障全体の持続可能性の確保を図るため、社会保障・税一体改革成案を早急に具体化する。
- 一、 「希望と誇りある日本」をつくるため、新たなフロンティア開拓や中長期的な経済成長の実現、持続可能な地域発展モデルの創造、世界に雄飛する人材の育成等の政策を進める。
- 一、 日米同盟を基軸とした外交を更に深化させるとともに、多極化する世界に対応したアジア諸国等との多角的な結びつきを高める取組を進める。また、高いレベルでの経済連携、エネルギー資源の確保などの経済外交を推進する。
- 一、 本格的な「政治主導」の確立に向けて、政務三役と官僚は、それぞれの役割分担と責任を明確にし、相互に緊密な情報共有と意思疎通を図りつつ、それぞれが持てる力を最大限に発揮し、政府全体が一体となって政策運営に取り組む。 — 2011年(平成23年)9月2日閣議決定
政策
内閣の動静
2011年(平成23年)
2012年
脚注
注釈
- ^ 河野太郎が2021年自民党総裁選で当選した場合、初の昭和40年代生まれの首相になっていた。
- ^ 奥本大三郎は『マルセイユの海鞘』(中央公論新社)の「泥鰌内閣」というエッセイの中で、彼のセリフの元が相田みつをの「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」という言葉と書いている。
- ^ a b 鹿野グループにも所属。
- ^ a b c d e 菅グループにも所属。
- ^ a b 近藤・平岡グループにも所属。
- ^ a b c d e 川端グループにも所属
- ^ a b 羽田グループにも所属
- ^ a b 鳩山グループにも所属
- ^ a b c 小沢グループにも所属
- ^ 野田グループにも所属
出典
関連項目
外部リンク
ウィキニュースに関連記事があります。野田内閣正式発足 藤村官房長官、安住財務相など新任
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名前は内閣総理大臣、名前の後の数字は任命回数(組閣次数)、「改」は改造内閣、「改」の後の数字は改造回数(改造次数)をそれぞれ示す。 カテゴリ |