|
フランシーヌ・フールマン
Francien Huurman
|
|
|
---|
基本情報 |
---|
国籍 |
オランダ |
---|
生年月日 |
(1975-04-18) 1975年4月18日(49歳) |
---|
出身地 |
南ホラント州ペイナーケル |
---|
ラテン文字 |
Francien Huurman |
---|
身長 |
193cm |
---|
体重 |
76kg |
---|
選手情報 |
---|
愛称 |
フランシー |
---|
ポジション |
MB |
---|
指高 |
248cm |
---|
利き手 |
右 |
---|
スパイク |
332cm |
---|
ブロック |
292cm |
---|
テンプレートを表示 |
フランシーヌ・フールマン(Francien Huurman, 1975年4月18日 - )は、オランダの元女子バレーボール選手。元オランダ代表。
来歴
1997年よりオランダ代表のメンバーとして数々の国際大会で活躍。1998年の世界選手権に出場し、7位となった。ワールドカップやオリンピックへの出場はない。2001年からVリーグの久光製薬に入団した。翌年からはパイオニアに移籍し、2回のリーグ優勝と黒鷲旗大会優勝に大きく貢献した。2004-05シーズンの第11回大会では敢闘賞、ブロック賞、ベスト6賞に輝いた。
2005年ワールドグランプリからは中核としてチームを引っ張り、2007年ワールドグランプリで優勝、2009年のヨーロッパ選手権で準優勝などの実績を残す。2010年世界選手権、2011年ヨーロッパ選手権に出場した。
2011年11月、Vチャレンジリーグの日立リヴァーレに入団[1]。2011-12Vチャレンジリーグの優勝へ導き、スパイク賞を獲得した。
2020年からは指導者として活動[2][3]。アヴィタル・セリンジャーが監督を務めるオランダ女子代表のコーチを2022年まで務め、2024年現在はU18チームのコーチを務める。
エピソード
- パイオニア在籍中の2006年2月に乳がんの診断を受ける。シーズン終了後パイオニアを退団し帰国、化学療法を10月まで受け、翌2007年5月には代表に復帰した[4][5]。
所属クラブ
受賞歴
- 2003年 - 第9回Vリーグ スパイク賞、ベスト6
- 2004年 - 第10回Vリーグ スパイク賞、ベスト6
- 2005年 - 第11回Vリーグ 敢闘賞、ブロック賞、ベスト6
- 2006年 - 第12回Vリーグ スパイク賞、ベスト6
- 2012年 - 2011/12 Vチャレンジリーグ スパイク賞[6]
脚注
外部リンク
|
---|
Vリーグ |
|
---|
プレミア リーグ |
|
---|
V.LEAGUE Division1 |
|
---|
|
---|
1980年代 |
---|
1985年 | |
---|
1986年 | |
---|
1987年 | |
---|
1988年 | |
---|
1989年 | |
---|
|
|
1990年代 |
---|
1990年 | |
---|
1991年 | |
---|
1992年 | |
---|
1993年 | |
---|
1994年 | |
---|
1995年 | |
---|
1996年 | |
---|
1997年 | |
---|
1998年 | |
---|
1999年 | |
---|
|
|
2000年代 |
---|
2000年 | |
---|
2001年 | |
---|
2002年 | |
---|
2003年 | |
---|
2004年 | |
---|
2005年 | |
---|
2006年 | |
---|
2007年 | |
---|
2008年 | |
---|
2009年 | |
---|
|
|
2010年代 |
---|
2010年 | |
---|
2011年 | |
---|
2012年 | |
---|
2013年 | |
---|
2014年 | |
---|
2015年 | |
---|
2016年 | |
---|
2017年 | |
---|
2018年 | |
---|
2019年 | |
---|
|
|
|
★は黒鷲賞、☆は敢闘賞 |
|
---|
日本リーグ |
|
---|
Vリーグ |
|
---|
V・プレミア リーグ |
|
---|
V.LEAGUE DIVISION1 |
|
---|