斎藤真由美
斎藤 真由美(さいとう まゆみ、1971年2月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。大宮中央高等学校・通信制卒。現姓は阿部[1]。一児の母。 来歴小学生時代東京都練馬区春日町で育つ。幼い頃に両親が離婚し母子家庭で育てられた[2]。1976年、練馬区立練馬小学校に入学。バレーボールは母親が趣味のサークルに参加していたこともあり以前から興味は持っていた。[要出典]小学5年生の時、課内クラブでバレーボールを選択し、更に興味を深めていった。[要出典]1982年、練馬区立春日小学校創立に伴い編入[注 1]。 中学・高校時代1983年、練馬区立練馬中学校に入学。バレーボール部に入部するとすぐに頭角を現し、即戦力となった。対抗試合にレギュラーとして出場すると、そのプレイは脚光を浴びる。2年生でキャプテンとなる。次期を担う選手の一人として高校バレーの有名校からも注目された[2]。 1986年、中村高校に進学。1年生でレギュラーとなり、同年8月のインターハイでの3位入賞に貢献する。しかし、その後は指導者の理不尽な暴力に疑問を持つなど学校に対する不信感が芽生え、さらに国体の東京選抜のメンバーに自分の与り知らぬところでリストアップされ、更に「辞退」をさせられていたことを知り憤りを覚え、高校を自主退学する。その後暫くは人間不信に陥り、自宅に引き籠っていた[2]。 同年11月、イトーヨーカドーに入団。中退の噂を聞きつけ、声をかけたのがイトーヨーカドーであり、当時の監督はかつて中村高校を率いたことのある前田健であった[2]。 イトーヨーカドー 〜 ダイエー時代1987年2月、第20回日本リーグのダイエー戦でデビュー[要出典]を果たす。 1988年2月に17歳でソウル五輪の第1次候補選手に選出される。その実力と容姿から「未来の全日本エース」、当時美少女として人気を博していた後藤久美子になぞらえ「バレーボール界のゴクミ」と称されることもあった。[要出典][3]スポーツ専門の雑誌に留まらず一般の雑誌にも特集ページが設けられテレビ番組にも出演することもあったが、斎藤は一貫してバレーボール選手としてのスタンスで応じていた。「とんねるずのオールナイトニッポン」でパーソナリティのふたりが斎藤のファンであり、注目していると話したこともあった。[要出典]しかし、全日本招集時に「ベンチに座っていればいいから」と言われたことを不満に思いソウル五輪は辞退した[4]。 ソウル五輪には出場できなかったが、同年のNHK杯で全日本デビューを飾った。翌1989年のワールドカップではキューバ、中国などの強豪チームを相手にエースアタッカーとして活躍し敢闘賞を獲得した。またこの年度の日本リーグではチームの優勝に貢献し、最高殊勲選手に選ばれた。 その後、怪我に苦しみ、全日本に選出されるたびに、体を壊すようになる。[要出典]一時は肩があがらず、髪を梳かすことに苦労するほどであった。1993年8月、兄が運転する乗用車に同乗中、居眠り運転の対向車と衝突する交通事故に遭い、膝には大怪我を負い、額は13針縫うほどの裂傷を負った。その事故の前からの怪我の治癒とリハビリ期間を含めて6年半(事故の手術から4年半)ほどバレーをすることができない状態が続いた[2]。 1996年にイトーヨーカドーの主将としてチームに復帰した。その後、ダイエー(オレンジアタッカーズ)に移籍。1997-98年シーズンの第4回Vリーグではチームを優勝へと導き[要出典]2回目の最高殊勲選手に選ばれた。 パイオニア時代1999年5月、ダイエーからの分離により混乱が続くオレンジアタッカーズ[要出典]から、山形県天童市を本拠地とするV1リーグ所属の東北パイオニアへ移籍。Vリーグ昇格という明確な目標を持ったチームが自分を必要[要出典]とし、母が山形県出身という縁もあって下部リーグへの移籍を決断した。1999-2000年シーズンにV1リーグで優勝し、翌2000-01年シーズンからVリーグへ昇格。この間、2000年に実兄の中学校時代の後輩[要出典]にあたる小学校教諭と結婚。 パイオニアレッドウィングスと改名したチームの成績は向上したが、自らは膝の状態の悪化など苦しいシーズンが続いた。[要出典]2003-04年シーズンに選手兼任コーチとしてチームのVリーグ初優勝を見届ける形で、2004年4月1日に現役を引退[5]。2004年6月に天童オルゴール博物館で4年越しの結婚式を挙げた[6]。引退後は東北パイオニアに勤務しながら同チームの事務局長を務め、2006年7月に退任。 現在2007年4月から、山形放送の朝のラジオ情報番組「グッとモーニン!!」内で「真由美のアタック!朝一番」(毎週火曜日)でパーソナリティを務める[7]したり、バレーボール中継の解説を中心に、2016年1月にフジテレビ「春の高校バレー」で解説者デビューとなった[8]。 天童市教育委員会の教育委員(2013年10月 - 2017年9月)[1][9]・さくらんぼテレビジョン番組審議会委員(? - 2017年10月)[10]を務めていた。神奈川県川崎市川崎区の「MAX8」の代表取締役を務めている[11]。 日本スポーツ協会公認コーチ4(旧:上級コーチ)[12]、NESTA JAPAN[13] キッズコーディネーショントレーナー、日本はちみつマイスター[14]協会認定講師の資格を有する[15]。 2022年、群馬銀行グリーンウイングス(現・群馬グリーンウイングス)の監督に就任した[15]。 人物・エピソード
球歴受賞歴
所属チーム選手
指導者
主な出演作品テレビラジオ
関連本
脚注注釈
出典記事
外部リンク
|